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記事一覧
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ネットでの発信に於ける課題
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明治時代には新聞、大正はラジオ、昭和はテレビそして平成はインターネット。
一時代に一つずつ新しい媒体が登場していった。
そして令和は?
その前にインターネットの普及がもたらした恩恵と今後の課題について考えてみたい。といっても、それはごく一部に過ぎない話であろうが:。
インターネットの功績の一つは誰もが発信者になり得るようになったということであろう。
これまでは新聞、雑誌にしても映画にしてもテレビにしても発信者と受信者という区別が明確であった。
発信者になることが出来る人は選ばれた人のみであった。新聞社や放送局に入社するには採用試験に合格しなければならない。
本を出版するには、文学新人賞に入選するなどして作家として認められるか、企画を持ち込んだ出版社の編者者と意見が合うかでなければならなかった。それは極めて低い確率であった。
もちろん自費出版という手段もあるが、そのための資金は最低でも数十万はかかる、あるいは百万円はみた方がよいというのが相場であった。
ところが電子書籍の登場で誰でも印刷、製本代は無料で出版できるようになった。紙にこだわるのならばオンデマンド印刷という手段もある。それまではある程度の最低部数を印刷しなければならなかったが、一冊からでも可能であり、在庫を自宅に抱え込む心配はないのである。昭和時代から考えれば、朝起きたら玄関先に札束が置いてあったような話である。
さらには電子新聞も刊行され、登録すれば誰でも記事を発表できるようになった。それまでの新聞や雑誌への投稿は選ばれた人のみが採用されたが、誰もが書いたものを自由に世に問うことができる。
まさに受信者階級が発信者階級となる下克上的な革命といってもよい。
しかし、課題が全くないわけではない。
それは電子新聞の持久力という問題である。
筆者が平成末期に度々投稿していたツカサネット新聞、オリーブニュースいずれも休刊中である。両運営会社の社内事情については認知していないが、息の長い媒体として定着することができないままでいるという現実がある。
しかし、誰もが発信者になり得るということも現実であることは間違いない。
ブログやSNSは間違いなく浸透している。あと戻りすることのない大きな流れがある。それをいかに活用していけるか?
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