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十五歳という危険な年齢
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山田太一氏作のNHK大河ドラマ「獅子の時代」の挿入歌「OUR HISTORY AGAIN〜時の彼方に」(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童) に「十五で世の中をわかっちまったような奴らから見れば馬鹿げた話さ」という一節がある。十五で世の中をわかった奴らとは会津若松城が火に包まれているのを見て自害した少年白虎隊のことで、このドラマの主人公は落城後も生き抜く道を選んだ男であるが、白虎隊の隊士たちがお城が燃えていると思ったのは錯覚によるもので、実は城は燃えてはいなかった。
少年白虎隊の悲劇に限らず、十五歳くらいの年齢は、偏狭な思い込みによって、物事の本質を見誤ってしまうということはありがちなのではないだろうか。いじめによる自殺のニュースが相変わらず絶えない。かつて神奈川県内でのいじめ自殺裁判の支援をしたこともある筆者(編集人)は、「自分のしたことは何だったのか」とやりきれない気持ちになるが、周囲の大人たちが、時間と空間の広さ、もっと平たく言えば、「君が今いるところだけが世界のすべてではない。いつまでも今のままではない、辛い現実もいつかは変わる」ということを教えてあげることが救済への手がかりなのではないのだろうか?
しかし、その一方で、十五歳くらいの年齢は、自分の置かれた現実も見えてくるということも確かなことである。「十五の春」という言葉がある。高校受験の季節のことである。公立の小中学校ならば、同じ地域に住む子供たちが能力の差如何に関わらず同じ学校に通っていたが、高校進学となると、いやでも学力の差というものを認識せざるを得ない。学力によって、それ以降の進路も大きく異なっていく。かく言う筆者は、十五の春の負け組である。第一志望であった地元の公立高校が不合格になった。当時、住んでいた地域に於いては、進学校と呼ぶには最低ラインの高校に入れなかった。
それなのに、それから三年が過ぎ、前述「獅子の時代」が放映されていた頃には、大学受験を目指し、高田馬場駅前の予備校に通っていた。十五どころか十八になっても世の中も自分のこともいまだにわからない馬鹿な奴である。中学時代の同級生たちは、筆者のことを生意気だと思っていたことだろう。
この年、昭和五十五年(1980)は、プロ野球界では、巨人の長嶋茂雄監督が解任され、王貞治選手も現役を引退した年である。筆者の少年時代の終焉を象徴するかのような出来事もあったのに:。(以上、「不死鳥」(早大歴史文学ロマンの会を再建する有志の集い会報)より一部修正の上、転載)
不死鳥会(早大歴史文学ロマンの会を再建する有志の集い)
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きもち:普通
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